今日は何の日?
昨日のことですが、8/23は戊辰戦争(会津戦争)で明治新政府軍と会津藩などの旧幕府軍が戦った会津戦争において、白虎隊が自刃した日だとエレベーターの案内板が教えてくれました。
私、なんせタイミング良く会津若松に行く機会があり、白虎隊の自刃の地を訪れてきたばかり。
東北エリア(全部じゃないと思うけど)では、小学校の多くは修学旅行で会津若松へ行き、白虎隊を学ぶのがセオリーだとか。
飯盛山の長い階段を登りきると白虎隊士のお墓があります。
白虎隊が自刃した場所は飯盛山、会津若松市街地の北東に位置していて城下町が一望できます。
その当時、戦火に包まれた城下町を見た白虎隊士たちは、自分たちの砦である鶴ヶ城(会津若松城)が落城したと誤認し、敵に捕まり生き恥をさらすくらいならと自刃していったそうです。
誰もが一度は触れたことのある有名な話。
お墓から少し離れたところが自刃の場所
自刃の地には慰霊碑が建てられています。
隊士たちは15歳~17歳の年齢・・・現代の子供たちでは考えられないことが幕末に繰り広げられていたのです。
第二次世界大戦では10代20代の若者が神風特攻隊で亡くなられていますが、その70数年も前から、まだ成人していない若者たちが相当な覚悟を持って生きていた・・・、と思うと感慨深いです。
自刃の場所から下山してくると、中が二重の螺旋通路になっている“さざえ堂”に辿り着きました。
駐車場の螺旋スロープと同じ構造で、不思議な感じが味わえました。
昔からの建築技術って凄いですね。
白虎隊が他の戦域から鶴ヶ城の情勢を確認するため飯盛山に向かう際、この洞穴を潜ったそうです。
水量がけっこうあることにビックリ(゚Д゚;)
約150年前に起きた同じ国に住む者同士の争い・・・会津藩は旧幕府軍側でしたが、新選組同様、戦わなくてはならない大義名分があったんだと・・。
そんな歴史があって今に至っているんだなと感じることができた探偵でした。
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